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自費出版タイトル

『多摩ら・び「自費出版」』より




詩集 春の雪

花里鬼童さん

 昨年から今年にかけて相継いでけやき出版から上梓した詩集『結露』と『春の雪』は、戦後文学の高揚期から今日まで、60年にわたって文学と縁をもった私が、本来ならその前半期に、当時書き遺した作品を本にしていた筈であった。
 それが中途から己一身の障害を癒すことをきっかけに、我が国の障害者施策の支え手としての事業に手を染めたばっかりに、文学の世界に大きな空白を作ってしまい、今日に至っている。
 とは、いささか云い訳めくが、実は元来私は大変不器用で、二足の草鞋を履くことができない性癖(たち)で、事業の傍ら詩作をすすめるなど、とてもできることではなかった。
 と言ってこの空白に当たる折に、まったく鳴かず飛ばずであった訳はないのだが、作品の発表や本にするための原稿の整理の手間が作れぬままとなっていたのが実情である。
 あるとき、新聞広告に「自費出版社」の一覧があり、この中になんの飾りもなく、取り立てて声高に喧伝するふうもない「けやき出版」の名前を見つけて、霊感のように出版を決めてしまい、一挙に戦後にけりをつける覚悟で、2冊の本を出した次第。
 戦後の昭和28年(1953)に詩の結社「山梨詩人集団」をおこし全国誌『ぶどうの実』を創刊、農山漁村文化協会から山田あき、栗林一石路、渋谷定輔らと共著『農村の詩・短歌・俳句作り方入門』、千葉県庁から『生活の発見(一・二集)』等の出版以来のことで、言ってみれば老い先短い先行きへの周章から衝動的なことであったようだ。
 それにしても、結果としてはけやき出版の誠実・懇切なお手伝いがなければ陽の目を見なかったであろうことを考えると、良い機会に良い出版社に巡り会ったと喜んでいる。
(多摩ら・び 71号より)

写真集 昭和・平成 思い出の日々

榎本良三さん

私は、今年米寿(88歳)を迎えました。
 昭和10年頃から70年余りに渡った私の写真人生も終わりに近づいたとの思いが強くなり、それにつれて、おそらく最後の写真集になるであろう5冊目を出版したいと思うようになりました。
 今迄に上梓した4冊のうち、けやき出版にお願いした3冊は、清水社長さんはじめ社員の皆様のお蔭で、幸いにも多くの方々に支持されました。その後に50枚前後の写真を提供した他の2冊の写真集も好評で、私は大変楽しい気分にさせていただきました。
 この度上梓した5冊目の写真集は、私の写真人生をモノクロームの時代とカラーフィルムの時代とに分けて展望するように創れば、簡単にできると思ったのですが、準備を始めたもののなかなかうまくいきませんでした。
 その理由の一つは、70年の写真人生と言ってもその間に空白期間があったことです。

 昭和19年、私は関東軍の一員として参戦しました。幸運にも終戦直前に帰国しましたが、戦後の混乱と貧困の中で過ごした10年余りの歳月は、写真どころではありませんでした。その後、昭和29年に昭和町と拝島村が合併して昭島市が誕生した際には、郵便局長でしたので毎日仕事に追われ、カメラを持つことができなかったのです。
 もう一つの理由は、最近やかましくなったプライバシー保護の問題です。
 私の写真哲学は、平凡な庶民の暮らしを写すことを通じて時代の本質を記録することですから、暮らしの中での子どもの生活や、本書のテーマの一つになっている女性の暮らしの変遷を撮影し発表するのが難しくなっていることは、大きな制約になりました。このような制約の中でも承諾を得る等、出来る限りの努力を払ったつもりです。
 こんな裏話の数々を乗り越えて刊行に漕ぎ着いた、写真人生70年の集大成です。皆様からの反響を楽しみにしております。

(「多摩ら・び」70号より)

北村助教授の心理学講義 表象の心理学

堀 申哉 さん

本書はわたし(編者)の学生時代のノートを再生したものである。
 この講義は東北大学文学部の心理学研究室で昭和33年度の特殊講義として行われたもので、当時わたしは3年生だった。
 「表象」とは日頃耳にすることの少ない言葉だが、誰でも日常過去を思い浮かべたり、いろいろ想像したり、ものを考えたりする時に頭(?)の中に浮かんでくる心像(イメージ)のことである。この講義はこれについての研究を歴史的展開を軸に概観したものである。
 しかし本書の目的はその内容を伝えることではない。それはわたしの手に余る。またこの講義はこれについての53年も前のもので、その後研究が進んで新しい知見が多く累積されていると思う。
 わたしが本書を上梓したのは「ノートをとることにはどんな意味があるのか」ということを問いかけたかったからである。
 学生の頃は単純に先生のお話しになったことをできるだけ多く書き留めて知識を増やしテストに備えようという気持だった。しかしその後ささやかな満足感からこれを自分史の一資料として上梓したいと考えるようになった。
 ところがそれに向けた作業を進めているうちに、ノートをとるということは聴いたことの単なる筆記ではなくて、聴いたことを自分の言葉で書くことで独自の知的世界を創作することだとの思いを深くした。(「多摩ら・び」69号より)

一期一会の人と街
172日間夫婦の船旅紀行
渡部公正さん
 日本の高度経済成長期、過酷な勤務に耐える30歳代の勤め人の夢は、「のんびり世界を巡る船旅」であった。それはあの「ポパイのホウレン草」に似たエネルギー源であった。
 2008年の『世界一周』の船旅は、太平洋、インド洋、大西洋などの航海、スエズ・キール・パナマの三大運河の航行等、クルーズ自体がなかば目的となっていたが、個人的に地中海他の欧米寄港先で楽しみにしている所が幾つかあった。そして、104日で21ヶ国・28港に立ち寄った船旅は、期待を裏切らないものであった。
 かくて、永年の夢を叶え十分満足したのだが、少しばかり船旅に未練も残った。それは南米大陸を掠りもしないという航路の制約に由来するものであった。北極圏と欧州最北のノールカップ岬を訪ねてなお南米大陸を求めるのは、いわば「望蜀」の謗りを免れない望みなのだが……。
 謗りはともかく、09年の『南洋と南米』船の旅に心が動いた。これまで、南米の「イグアスの滝」「ナスカの地上絵」「空中都市マチュピチュ」などは訪ねるべくして果しえなかった。飛行機で20数時間はあまりに遠い。しかし、この船旅では、停泊中の太平洋側の港周辺からオプショナルツアーを利用したので数時間の飛行で永年の夢であった国々の風土と遺跡に接することができた。
 南米に至る前には太平洋戦争の激戦地と南洋(諸島)を辿り、モアイ像のイースター島も訪ねた。だから、68日間の船旅は、個人的な願望をはるかに超えるものであった。
 二つの船旅では、驚嘆の自然と人類の歴史、忘れがたい人との出会いに触れることができたが、同じ環境で接することは二度とないという思いを込めて、『一期一会の人と街』をしたためた。この本から、そのような私たちの「歴史」の一部を感じていただければ望外の幸せである。
 今回の刊行は「けやき出版」にお願いしたが、献身的な協力を戴き、地元の利便性も十分に享受できたので最善の選択であったと思っている。
(「多摩ら・び」68号より)

日本陸軍の通信諜報戦
―北多摩通信所の傍受者たちー

鳥居英晴さん

 戦後66年。戦争の記憶は人びとから薄れつつある。多摩地域には戦前、軍事関連施設が数多くあった。しかし、陸軍の「北多摩通信所」については極秘施設であったため、残された記録も少ない。
 西武新宿線花小金井駅から小金井街道を東久留米方面に向かうと、途中に「通信住宅」というバス停がある。北多摩通信所とその官舎があったことを偲ばせる唯一の名残である。北多摩通信所は通称“田無通信所”とも呼ばれた。
 北多摩通信所では、通信学校を卒業したばかりの軍属の少年たちが通信手として、24時間体制で日夜、中国、ソ連、米国の電波に耳を傾けていた。傍受された情報は解読のために参謀本部に送られた。日本軍による真珠湾攻撃の模様も傍受された。B-29による本土空襲が始まると、その動向を探るために、航空機やサイパンなどからの電波を常時モニターしていた。敗戦と同時に、その存在を消すために機械や文書は破壊され、人々は立ち去った。昭和の終わりごろまでは平屋の庁舎が朽ち果てた姿をさらしていた。
 当時少年だった人たちも現在80歳を超え、すでに鬼籍に入られた方たちも少なくない。公式文書や手記を入手するとともに、当時の通信手を捜し出し、彼らの証言を得た。北多摩通信所の誕生から消滅、さらに関係者による戦後の電波傍受機関の復活の試みを描いた。
(「多摩ら・び」67号より)

多摩の畑から群馬の畑へ
ー畑のおじさん日記2009ー

金井 聡さん

 サブタイトルの「畑のおじさん」は、私が2008年の春から参加した東京都小平市の農業体験農園の名称です。2008年の春からの1年間の体験を「多摩の畑から採れた本ー畑のおじさん日記2008」として昨年9月に出版しました。この「多摩の畑から群馬の畑へ-畑のおじさん日記2009」はその続編です。
 2008年は、百年に一度といわれる金融危機が起こり、食の世界で不祥事がつづくなど、私達を取り巻く社会が大きく混乱しました。一方の農園での農業体験は、ゆっくりとした自然のリズムに寄り添って作業が進みます。この二つの現実のコントラストの大きさに戸惑いを感じながら、だんだんと農業が好きになりました。
 2009年、畑のおじさんの年目は、農園での農業体験を続けながら、サラリーマンの傍ら自分の畑を確保し、農業に参入してみようと動き始めるところから始まります。世の中は空前の農業ブームといわれ、農業分野での成功談や、新規就農情報が飛び交っていています。しかし、実際には、農家から兼業農家になるのは比較的容易なのに、会社員から兼業農家になるにはとても大きな壁があることがわかりました。
 壁があると乗り越えてみたくなります。続編は、農園での体験や身の回りの出来事と並行して、この壁を乗り越えようとも壁によじ登る私の1年間の取り組みを綴っています。その結果は如何に!(とっても中途半端な結果なのであまり期待しないでください)。 (「多摩ら・び」 65号より)


武蔵野公園・野川・はらっぱ
くじら山の四季 スケッチ集

ちむらひろこさん

 小金井市の南のはずれ、都立武蔵野公園の中に、森や野川、原っぱに囲まれたくじら山があります。近くに来た人は誰でも登ってみたくなる不思議な山です。そして高さ20メートル程の頂上に立つと、くじらのせなかにいるような気分になり、眼下に広々とした原っぱが開けているのを見ると、なんだかちっぽけだった気持ちがぐーんと大きくなるような感じがしてきます。
 子どもたちは、ハイハイする頃から草の斜面をコロコロころがって枯草だんごになったり、タンポポの綿毛をフッと吹いたり、紙ひこうきや凧あげを繰り返しながら育っていきました。こぶしや桜、えんじゅの花が咲きかわり、虫や鳥がやってきて夏になると、一日じゅう川に入ってザコザコ水草の根っこのあたりをつついてザリガニと対面したり、ペットボトルの中のカワエビが透き通っているのを得意気に友だちに見せたり……。くじら山はいつも子どもたちと四季を演じる中心にいるのです。

 30数年前から近くに住み、ハッとする光景に出会うたびにスケッチブックを取りに帰り、描きためた画集が数十冊にもなっていました。数年前、アサヒタウンズの藤井進さん(当時)にそのお話をしたところ、「けやき出版」への道すじをつけてくださったのですが機会に恵まれず、このたびようやく描きためたスケッチ集の姿のままくじら山のご紹介ができることを嬉しく思います。

『多摩の畑から採れた本 畑のおじさん日記』

金井聡さん

 私は、小平市在住の50歳一歩手前の会社員です。2008年の春から、会社勤めの傍ら、土曜日を中心に農業体験をする、「畑のおじさん」という体験農園に参加しています。そして、そこで経験したことや、畑を通して感じたこと、考えたことなどを、「畑のおじさん日記」と称して書き綴ってきました。
 農業体験をしながら、農業についても少し調べてみました。すると、農業の持つ豊かさや課題、農業とそれを取り巻く社会との矛盾といったものも見えるようになり、畑という視点から物事を見ることができるようになってきました。視点が変わると同じ世の中も遣って見えることがあります。畑仕事をしながら、美味しい野菜が収穫できたという歓びだけでなく、季節の循環や、市場経済に対する、実体経済である畑の仕事、複雑な食品の流通に対する、自分の作ったものを自分で食べるというシンプルな流通など、色々なことを感じてきました。また、2008年は、100年に一度と言われる経済の危機、食品汚染など色々な事が起こりました。
 1年間の体験が終わり、書き続けてきた「畑のおじさん日記」を何人かの知人に読んでもらったところ、共感し、出版を勧めてくださる方もおり、また、けやき出版にめぐりあったことでこの本が生まれました。本のタイトルは、この本も畑からの収穫だという思いから、「畑のおじさん日記」を副題にし、「多摩の畑から採れた本」としました。この本を書くことができたことも、畑からいただいたもう一つの大きな収穫だと思います。
 「多摩ら・び」の読者の皆さんの中にも、畑や農業、食べ物といったものに関心をおもちの方が多いのではないかと思います。畑から採れる農作物が、皆さんの身体をつくる大切な栄養となるように、畑から採れたこの本が、あなたのこころの栄養に少しでもなれば、本の生産者として、これほどうれしいことはありません。

(「多摩ら・び」58号より)


『東京発 読んで旅する四季の山々』

金森康夫さん

 登山をはじめて今年で13年になります。市販の登山ガイドや、他の方の報告を読んでから出かけることが多いのですが、今回、自分がそのようなものを皆さんに提供する立場になりました。今までも、ホ−ムページで登山の記録を書いてきました。それをあえて本にしようと思ったのは、何か形の残るものにしたかったこともありますが、やはり、山の情報取得手段の原点である紙媒体を、大切にしたかったからです。
 今や、山に出かける前の情報収集は、完全にインターネットが主流になりました。高山植物の開花速報を見たい、積雪量を知りたい、登山道の状況を写真で見ておきたい。そういうタイムリーな情報を人がメディアに求めるのなら、本や雑誌が後れをとるのは仕方がありません。でも、本を読んで山に出かけることで、山で味わう感動を、著者と共有ずることができます。登山の動機づけとして、ネットにない力が本にはあります。また、ネットで知識を詰め込んで、すべてわかったつもりで出かけたら、逆に言えばそれ以上の経験をすることもないでしょう。山は、自分が思い描いていた以上の感動、大きな体験をさせてくれる場です。
 山の本は、人が山に登る意味を、こんな時代だからこそ問いかけていると思います。私の記録を読んでくれた人は、「読んだだけで登った気分にさせてくれる」との感想を寄せてくださいます。
 山の風景が目の前に浮かんでくるような、臨場感あふれる関東・甲信の四季の山旅。自然のエッセンスがいっぱい詰まった本に仕上がりました。ぜひご一読ください。感想もお待ちしています。

(「多摩ら・び」56号より)


『続 80歳発・愛のメッセージ』

永沼亘彬さん

 私が満80歳になりましたのは、今から4年前、即ち平成16年(2004)の夏でした。
 その時、縁あって、けやき出版から『80歳発・愛のメッセージ』を出版しました。随分、多方面の方々から勇気づけられ、また感謝文も沢山いただきました。
 でも、80年もの長い期間の思い出を一冊の本にまとめることは至難の技でした。そこで、その後書いたエッセーをもとにして、前回十分に書ききれなかった部分の補足をと思い立ち、今回の『続・80歳発・愛のメッセージ』となりました。
 沢山の先輩・友人・同僚、あるいは後輩の方々から、助けられたり、勇気づけられたり、忠告されたり……。そして、今日の自分があるんだなァ…としみじみ反省し述懐するよすがとなれば幸いだと考えています。

 文字通り「感謝」と「反省」の随筆集です。中には私の力量を越えて、明日の日本を心配したり、こうなってほしい、ああなってほしい等々、様々の希望や夢物語を挿入して書いた部分もあります。どうぞ、つれづれに、ご笑覧くだされば幸いです。
 これで5冊日の出版となりますが、もしもう少し長生きすることをお許しくださるならば、そして4年後に米寿を迎えることが叶うなら、6冊目にチャレンジしたいと思っていますが、ハテサテどうなることでしょうか?
 4年後もまた、けやき出版とのご縁が続いていることを願っておけます。

(「多摩ら・び」54号より)


『ぽれぽれ高尾山 観察記 ー遊び心で探す自然の宝物ー』

黒木昭三さん

 高尾を歩いて30年以上になります。はじめは健康登山のつもりでした。でも、速歩きだったのでコース以外は何も見ていませんでした。ある日、ゆっくり歩いていると、道端に花が咲いていることに気づきました。それが植物に興味をもつきっかけになりました。
 はじめは図鑑と現物のギャップが大きく、なかなか判別できませんでした。幸いにして、花は毎年同じ場所に咲いてくれます。花との出合いが多くなるにつれて、花の名前を覚えられるようになりました。
 年を重ねると、いつまでも遠歩きはできません。自分の健康を、高尾の自然に委ねることにしました。歳月人を待たずですが、草花は時期が来たらその場所で咲いて待ってくれています。自然が呼んでいます。自然との再会の約束をすれば、出かけないわけにはいきません。これが健康保持につながります。でも、面白さがなければ持続しません。
 この本は図鑑ではありません。とにかく肩の力を抜いて、遊び心で高尾を楽しんでもらうために、入口を漫画のようにしました。常道を逸した型破りの本ですが、この本を参考にして高尾を楽しんでください。高尾は花の宝庫です。これは共有の財産です。この財産は、活かしてこそ宝です。自然との触れ合いによって、自然を楽しみながら、自然の大切さを理解してほしいのです。出版の目的はここにあります。
 幸いにして、けやき出版の皆さんも楽しみながら編集してくださいました。感謝です。

(「多摩ら・び」53号より)







『金属学 ミニマム&マキシマム――金属学入門と金属学の体系』
『磁石のふしぎ 磁場のなぞ――磁気と磁性材料―歴史・理論・技術』
山辺恵造
さん

「金属の研究をしています」というと、多くの人が「それはお固いことで……」といってくれます。金属が固いのか、研究が固いのか分かりません。

  たしかに金属は固いのですが、鉄床(かなとこ)の上で強く叩くと平らに変形します。割れてしまわないのはどうしてなんでしょう?
  一方、冷蔵庫のドアや黒板にマグネットでメモを止めますが、どうして吸い付けられるのでしょう? 冷蔵庫、洗濯機、クーラー、みんなモーターで動いていますが、モーターが回るのも磁力。でも、磁力って一体、何の、どういう力なのでしょう?
  金属も磁力も知らないままに利用していて、その有り難さにも、性質の不思議さにも関心をもつことはほとんどありません。いや、普通はそれでいいのです。でも、これらは考えてみると不思議なことなんです。

  学生さんや技術者をはじめ多くの人に、そこのところを知ってもらいたくてこの2冊を書きました。理系の専門書なので、けやき出版とメイテック社にはいろいろとご苦労をおかけしました。贈呈した人からは、内容と同時に、造本も立派で、装丁も落ち着いた美しさがあるとの返事もいくつかきています。有り難うございました。

(『多摩ら・び』40号より)



「空堀川橋ものがたり」
小林 寛治
さん 

「空堀川」は東京の北東部、埼玉県境に近いところにあります。都市計画により昭和47年頃から河川改修工事が始められ、新しい川が造られると同時に、橋も次々と新しく大きなものに架け替えられていきました。私は架け替えられていく橋の名前に興味をもち、調べてきました。橋にはそれぞれに歴史が秘められ、その川の状況や地域の歴史をひもとく鍵であることが分かりました。

 空堀川と呼ばれるようになったのは41年ほど前からで、管轄もそれぞれの市から東京都に移りました。今、誰かが空堀川の橋名の由来を記しておくことは意義あるものと考えました。

 空堀川はその名前ゆえに誤解されることが多い川です。”からぼりがわ”と正確に言う人が案外少なく、河川関係者でさえ”からほりがわ”と呼んでいたり、また、水のない状態と空堀川を一緒にして、からぼりだから仕方がない、と言っている人たちも多くいますが、それは川の成り立ちを知らないためかもしれません、

 かつて、川から絶滅した生き物たちが復活してきたことを『よみがえれ生きものたち』という冊子にまとめた時に、けやき出版にはたいへんお世話になりました。このたびは、明治15年の迅速図を基に、植生、川の流れなどをできるだけ正確な鳥瞰図にしたいと清水社長に相談したところ、今尾氏を紹介され、巻末の鳥瞰図を作成していただきました。お陰で満足のいく本に仕上がったと思います。

(『多摩ら・び』37号より)




「伝承考古学 ヤマトタケるに秘められた古代史」
崎元 正教
さん

 30年足らずのサラリーマン生活にピリオドを打って、私が古代史の研究に足を踏み入れるきっかけとなったのは、10数年前に出合った神社伝承学の父・原田常治の著書『古代日本正史』(婦人生活社)によってでした。原田さんは記紀以前の古い神社の由緒を分析して、耶馬台国のヒミコや出雲の神スサノオが活躍した時代の歴史を生き生きと描いていたのです。

  原田説は史家の間では無視され続けていますが、いつしかライフワークとして原田説を検証してみたいという思いが長い年月の間に、自分の中で知らず知らず熟成されていたのでしょう。日本経済のバブルがはじけ、勤務先でも早期退職者の募集が始まった時、やや迷いながらも、気がつけば清水の舞台から飛び降りていました。6年前のことです。

  当初、邪馬台国=日向の西都市、ヒミコ女王=天照大神とする原田説の検証作業に没頭していたのですが、神社伝承との比較検討過程で『日本書紀』を繰り返し読むうちに、ヤマトタケる辺りの時代について、『日本書紀』が幾つもの暗号に託して、史実(?)を懸命に叫んでいることに気付きました。それは、ヤマトタケるの正体や、その父たる景行天皇の実名、及びその系譜についてです。果たしてこの叫びは史実か幻か? 本書は、その証拠を求めて、日本各地に残る伝承史料や考古史料を尋ね歩いて得た結果をまとめたものです。限られた費用での自費出版でしたので、制作費用は本が売れた場合の返金率等4社を比較検討しましたが、出版社により倍近い差があるのには驚きました。その中でも最も良心的なけやき出版を選んだのです。地元に私の夢を叶えてくれる出版社があったことは、本当に幸運であったと思います。 

(『多摩ら・び』34号より)



 
   
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